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レビュー:『AIのある外国語教育』

南部 久貴

生成AIを英語教育の中でどのように位置づけるのか。これは、いま多くの英語教師が向き合っている問いだと思います。

関西大学 水本篤先生の『AIのある外国語教育』(松柏社)は、生成AIの仕組みや最新の研究成果、学習者の学び、教師の役割を踏まえながら、この問いを具体的に考えるための示唆を与えてくれる一冊です。

生成AIをまだあまり使ったことがない先生にとっては、AIとは何か、どのように付き合えばよいのかを学ぶ入門書として読むことができます。一方で、すでに日常的に生成AIを活用している先生にとっても、「これまで現場で何となく感じていたこと」が見事に言語化されており、読みながら何度も「そうそう」とうなずきたくなる本です。

ここでは、第3章、第6章、第8章に限定して、高校英語教師の視点からまとめてみたいと思います。

生成AIを「隠さずに使える」状態をつくる

第3章「倫理的な生成AIの使い方」では、生成AIを教育現場で扱う上で非常に重要な視点が示されています。

水本先生は、生成AIの運用について次のように述べています。

「倫理的に健全な状態とは、学習者が『隠さずに使える』ことと、教師が『使い方を教えられる』ことが両立している状態」(p.40)

これは本当にその通りだと思います。

現在、生成AIの使用を完全に禁止している先生は、以前に比べればそれほど多くない印象です。一方で、授業の中で生成AIについて積極的に扱っている先生も、まだ多いとは言えない印象があります。

その結果、生徒は「使ってよいのか、いけないのか」がよく分からないまま、必要に応じて生成AIを隠れて使うことになります。

もちろん、生成AIには注意すべき点があります。ハルシネーションもありますし、過度に頼れば学習の機会を失うおそれもあります。しかし、だからこそ教師が「どのように使えば学びにつながるのか」を提案し、生徒の現状を踏まえながら、一緒に使い方を探究し続けることが大切なのだと思います。

この章では、「メタ認知的リソース利用(Metacognitive Resource Use)」という考え方も紹介されています。

これは、生成AI、文法添削ツール、翻訳ツールなどの学習リソースを、学習者自身が目的に応じて主体的に選択し、適切に使用できるように指導していくという枠組みです。

すでに存在しているツールを、学習者自身が目的に合わせて選べるようになれば、教師が細かなルールだけで縛る必要は少しずつ小さくなっていきます。

私自身、実際に高校生を指導していて、生徒たちは生成AIの使用について、適度な危機感を持っていると感じます。「生成AIに頼ってばかりでは力がつかない」ということを、彼らは彼らなりに感じ取っています。だからこそ、教師はもう少し生徒を信頼してもよいのかもしれません。

単元の目標、学習活動の目的、課題の到達目標をより具体的に共有する。その上で、生成AIを使用してよい範囲や、使用した場合の記録の残し方を明示する。そして、「では、それぞれにとって適切な学び方で取り組んでみよう」と任せてみる。もちろん、放任するという意味ではありません。生徒の取り組みを見ながら、必要に応じて助言を入れていく。そのような関わり方が、生成AI時代にはより重要になっていくのだと思います。

さらに、この章には、学校ごとに生成AI活用のガイドラインを作成する際に参考になる視点も多く示されています。単にルールを作るだけではなく、そのルールを運用していく際に、教師と学習者のビリーフ、つまり信念がどのように影響するのかにも触れられています。

水本先生は、生成AIを活用していくためには、「教室活動に統合し、特性と限界を教え、教師が適切な使い方を示すという『統合・教育・モデル化』のアプローチ」が大切だと述べています(p.47)。

この方向性は、今後の学校現場で生成AIを扱う上での基本姿勢になるのではないかと感じました。

評価は「成果物」だけでなく「プロセス」へ

第6章「授業準備・教材作成・評価における生成AI活用」では、教師の授業準備や教材作成、評価における生成AIの活用について扱われています。

その中でも特に考えさせられたのが、「6.6 生成AI時代における評価方法とAIに任せる範囲」の節です。

ここでは、生成AIの登場によって、これまでのように成果物だけで評価することが難しくなっており、プロセスを評価する必要があると述べられています。

これにも強く同意します。

もちろん、授業中や考査など、ツールの使用を制限した状況で取り組ませるのであれば、提出された成果物そのものを評価することは可能です。しかし、授業外の課題ではそう簡単ではありません。生徒がどのようなツールを、どの段階で、どのように使ったのかを完全に把握することは難しくなっています。

だからこそ、成果物だけではなく、学習者がどのような思考のプロセスをたどったのかを見える化し、それを評価に組み込んでいく必要があります。

実際の運用について、本書では次のように述べられています。

各ツールの履歴機能を活用し、ロイロノートやLMSなどを通して提出させ、それをポートフォリオ評価の一部として用いる方法が考えられます。(p.108)

水本先生は、生成AIとのやり取りを紙で提出させることは現実的ではないとした上で、各ツールの履歴機能、そしてLMSなどを活用する方法を示しています。生成AIとのやり取りや修正の過程を、可能な範囲で記録し、ポートフォリオの一部として扱うという方向性は、とても現実的な提案だと感じました。

さらに本書では、プロセス評価にランゲージングを組み込むことが、生成AIの便利さと学びを両立させるための中心的な設計になると述べられています(p.107)。

ここでいうランゲージングは、生徒が自分の思考や判断、学びの過程を言語化する営みとして捉えることができます。

この視点は、生成AI時代の評価を考える上でとても重要です。なぜなら、履歴機能によって生成AIとのやり取りを記録することはできますが、そのログが残っているだけで、生徒の学びが自動的に見えるわけではないからです。

大切なのは、生徒がAIの提案をどのように受け止め、何を採用し、何を採用しなかったのか、そしてその過程で自分の考えをどのように深めたのかを言語化することです。生成AIとのやり取りの履歴は、学びの痕跡を残すための重要な資料になります。しかし、その履歴をただ提出させるだけではなく、生徒自身がそこに意味づけを行うことで、はじめて学びのプロセスが見えてくるのだと思います。

そのため、実際の授業でプロセス評価を取り入れる際には、「すべてのログを確認する」ことを目的にするのではなく、学びの過程が見えるポイントを絞って記録させることが大切なのではないでしょうか。

たとえば、生成AIとのやり取りを通して何を学んだのか、どのような気づきがあったのか、どこで自分の考えが変わったのか、AIの提案をどのような理由で採用したり採用しなかったりしたのか。こうした点を、生徒自身の言葉で簡潔に記述させるだけでも、成果物だけでは見えにくい学びの過程を捉えることができます。

このとき、履歴機能は、生徒の振り返りを支える資料として活用できます。教師がすべてのやり取りを細かく確認するというよりも、生徒自身の言語化と、必要に応じて残された履歴を組み合わせながら、学びのプロセスを見取っていく。そのような形であれば、教師にとっても生徒にとっても、より持続可能な評価になっていくのではないかと思います。

ログの保存や整理そのものについても、すべてを生徒や教師が手作業で行うのではなく、必要に応じてAIを活用してもよいのかもしれません。重要なのは、「AIを使ったかどうか」だけを確認することではなく、「AIとの関わりを通して、学習者がどのように考え、どのように判断し、どのように学びを深めたのか」を見取ることです。

生成AIを使えば、英作文の改善案も、表現の候補も、アイデアの整理も、以前よりずっと簡単に行えるようになります。しかし、その便利さの中で学びを成立させるには、生徒自身が「自分は何を考えたのか」「どこで迷ったのか」「AIの提案をどう判断したのか」を言語化することが欠かせません。

その意味で、水本先生が示しているプロセス評価とランゲージングの視点は、生成AI時代の評価を考える上で避けて通れないものだと感じました。評価のあり方は、生成AI時代において大きく変わっていくはずです。そしてその変化は、単に不正を防ぐためではなく、生徒の学びをより深く見取る方向に向かうべきなのだと思います。

AI時代に教師が担う「条件づくり」

第8章「これからの外国語教師像:AIとの共存・共栄に向けて」では、AI時代における外国語教師の役割が論じられています。

ここで特に印象に残ったのが、「AIが代替しにくいのは、学習を成立させる条件づくり」だという指摘です(p.139)。

たとえば、生成AIに授業案を提案してもらうことはできます。活動案を出してもらったり、ワークシートを作ってもらったり、評価基準のたたき台を作ってもらったりすることもできます。

しかし、その提案を見たときに、「このクラスでは少し難しそうだな」「この順番だとうまくいかないかもしれない」「この活動の前に、もう一つ足場かけが必要だな」と判断するのは、やはり教師です。

教師は、自分が担当している生徒たちの表情、これまでの学習状況、クラスの雰囲気、苦手意識、関係性などを踏まえながら、学習が成立する条件を整えています。

もちろん極端に言えば、生徒一人ひとりのあらゆるデータを生成AIに入力すれば、AIもかなり精密な判断ができるようになるのかもしれません。しかし、プライバシーの問題や計算コスト、そして教育的な妥当性を考えると、それは現実的ではありません。

だからこそ、AIがさまざまな支援をしてくれる時代になっても、教師の役割がなくなるわけではありません。むしろ、教師の専門性は「何をAIに任せるか」「どこに人間が関わるべきか」を判断するところに、よりはっきりと現れてくるのだと思います。

この章では、TPACKの枠組みも取り上げられています。

TPACKとは、授業においてテクノロジーを教科内容と教授法にどのように統合するかを考えるための枠組みです。本書では、このTPACKにLearner Knowledge、つまり学習者理解を加えた視点が示されています。

水本先生は、「どの学習者に、どの負荷で、どの順序で、どの支援を置くかを決めるLKが、AI活用の成果を左右します」と述べています(p.141)。

これは、AI時代の教師像を考える上で非常に重要な指摘です。

テクノロジーを使えること自体が目的なのではありません。英語のどの内容を、どのような方法で、どのような生徒に、どのタイミングで、どの程度の負荷をかけて学ばせるのか。その設計こそが教師の専門性です。

私自身も、AI時代の教師像を考える際にTPACKの枠組みは非常に有効だと感じています。

実は、2025年8月30日(土)に開催された立命館大学 言語教育情報研究科の公開シンポジウム「生成AIで言語教育はどうかわるのか?」で、水本先生と一緒に登壇させていただく機会がありました。

事前に打ち合わせをしていたわけではありませんが、私も水本先生も、AI時代の教師像を考える上でTPACKに言及していたことが印象的でした。

立命館大学 言語教育情報研究科 公開シンポジウム「生成AIで言語教育はどうかわるのか?」
https://www.ritsumei.ac.jp/gsleis/news/detail/?id=188

また、本書と同時期に刊行された『AI時代の教師をデザインする 英語教育の先駆的実践から』(山中司 編、朝日出版社)内の「第8章 生成AIと共生した高校英語授業の取り組みを通して 経験から見えてきたこと」でも、TPACKの枠組みを使いながら、これからの教師像について述べています。

水本先生からも、次のように紹介していただきました。

生成AI時代の英語教育を考えるための必読書

全体を通して、『AIのある外国語教育』は、生成AIを活用した英語教育について考える上での必読書だと感じました。

本書の魅力は、生成AIを過度に礼賛するのでも、過度に警戒するのでもなく、外国語教育の文脈にしっかりと引きつけながら、現実的で実践的な視点を提示しているところにあります。

生成AIをまだ使ったことがない先生にとっては、AIの基本から、授業や学習との関わり方までを学ぶことができます。

すでに生成AIを活用している先生にとっては、これまで自分なりに試行錯誤してきた実践や感覚を、理論的・教育的な言葉で整理し直すことができます。

また、同僚と一緒に「学校として生成AIとどう付き合っていくか」を考える際にも、本書は共通の視点を持つための土台になります。

AI時代の英語教育について考えたいすべての先生に、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。

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